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「寂しさの正体」とその「向き合い方」について

4 min

こんにちは、shotaです。

今回は「寂しい」というテーマでお話ししていこうと思います。

これは、最近の僕の中でめちゃめちゃホットなテーマで、この「寂しさ」について何度も何度も考えていますが、いまだに決着がついていません。

そんな中、少し前に「寂しさってどういう感情?」という疑問をもとにネットで検索したところ、一つの記事を見つけました。

この記事で書かれていることで、僕の抱えている「寂しさ」の正体に近づくことが出来ました。そして、どこに向き合っていけば良いのか、結構わかってきたと思います。

というわけで、今回は僕が思う「寂しさ」の正体とその解決方法について、個人的な意見ですが書き記していこうと思います。よければ最後までお付き合いください。

「寂しさの正体」とその「向き合い方」について

自分んことについて考えている人は、自分が何かを求めている状態が「寂しい感情」なんだと、気づいている人も多いと思います。

僕は最近気づきました。

「寂しい」と感じるということは、「何かが足りない」と思うってことなんです。

例えば彼女と分かれたーとか、誰かと喧嘩したーとか、誰かから突き放されたーとか。「自分」という存在を肯定してもらえない時に、人は「寂しい」と感じるのだと思います。

この「寂しい」を放置しすぎると、精神に異常をきたしてしまうのではないか、と。

「寂しい」は他人とのやり取りでは満たせない

人間誰しもが抱えるであろう「寂しい」という感情は、どうやって解決していけばいいのだろうか。

先ほどご紹介した記事には、その「答え」が乗っていました。

自分の外側でできることはただの「確認作業」だけだ。

この一文を読んだ時、頭の中で何かがハマる感覚がありました。僕の中では、外側に向けて「寂しさ」を満たす行為くらいしか知らなかったので、その発想はなかったです。

でもとてもしっくりきた。その理由は、「寂しさを他人に埋めてもらっても、その寂しさはまた襲ってくるから」です。

他人で満たしても、また欲しい、また癒してほしい、また寂しさを埋めて欲しい、と、他人に求め続けることになります。僕は正直、これでは解決にならないなと思ったんです。

「寂しさ」は「満たす」のではなく「受け入れる」

他人で満たしても、しばらくすると永遠に生まれてくる「寂しさ」。

満たしても足りなくなってしまうのであれば「満たす」という考え方が間違っているんじゃないのか?と思う様になりました。

その答えとして、先ほどの記事ではこう書かれていました。

「自分で自分の存在価値を肯定すること」

僕らが人に埋めてもらおうとしている「寂しさ」というのは、「自分という存在の肯定」である、と、この記事の筆者さんは語っています。僕も完全に同意です。

ならば、それを他人に委ね続けるのではなく、自分自身で解決するべきなのだ、というのが「寂しさを埋める」に対する回答なのではないかと。

「自分」を受け入れると「寂しさ」はなくなる

これに関しては、僕自身まだ完全に掴んでいる感覚ではないのですが、自分という存在を自分自身で肯定しているという状態は「寂しさ」とは全くの無縁となります。

「顔がかっこよくない」とか「下手くそ」とか「何回やっても出来ない」「ダメなやつ」とか、そういう自分を否定するイメージ、自分自身が持っている状態、分かっていながらもそれを受け入れきれていないから「受け入れてほしい」「肯定してほしい」「寂しい」という感情となって現れるのです。

そういった自分の「マイナスとしている面」を、まずは自分が受け入れないと、この先もずっと「寂しさ」と戦っていくことになります。

実際僕もそうだったし、多分、この永遠と流れてくる「寂しさ」は自分が受け入れないといけないことなんだろうなぁ、と感覚的にそう感じています。

寂しさを解消するために自分と行うこと

自分という存在を自分が肯定することで寂しさは解消される、という話をしていきましたが、実際にどういう行動をすればいいの?と疑問に思うことでしょう。

さて、というわけで後半では「寂しさを解消」するために、「実際どんなことをすれば良いのか」についてお話ししていきます。

寂しさを自分で受け入れる、その対策について参考にしてみてください。

小さな問題にも一つ一つとことん付き合う

これが「具体的な行動か?」というのは僕も思いますが、でもこれが一番大事なことで、一番効果があると思います。

例えば先ほどの「何回やっても出来ない」という自分に対するネガティブイメージがあるとします。

このネガティブイメージに対して、どんどん掘り下げていくことが大切です。「何がダメなのか」「どうダメなのか」「本当にダメなのか」「再チャレンジしたらどうなるか」「別の策を考えたらどうなるか」。

こうして、一つの問題に一つずつ一つずつ、しっかり向き合って付き合っていくのが、一番の遠回りの様で、一番の近道だと思います。

ハガレンのエドの父親が、体の中の賢者の石であるアメストリス人と一人一人話をつけた様に、自分のネガティブイメージとも一つ一つ話をつけて理解し、向き合って付き合って、自分の一部として認めて行ってあげましょう。

「今あるもので100点」という認識をする

寂しいというのは、結局「足りない」部分からくる感情だと思います。

ひたすら「足りない」「現状に満足できない」「もっと良いものが欲しい」と、今を見ずに「不足している自分」として生活し続けてしまうと、あっという間に「寂しさ」という呪縛から逃れられ亡くなってしまいます。

その呪縛から逃れるためにも「今が最高点だ」という認識をする必要があるのです。

現状が100点、他のものがあると更に良いけど、どうしようにも今が最高であることには変わりない。

これを心の底から思える様になれば、その時にあなたは「寂しさから解放された」と言って良いでしょう。

無意識に「比べる」自分と「決別」する

そもそも「寂しさ」というのは「他人との比較」から生まれるものです。

そして「無意識」というのは人間の得意技で、様々な動作を「まばたき」や「呼吸」の様に、常に自分のコントロール化に置かなくても動作させることが可能です。

「比較」という感覚も「無意識」に行える様になるスキルで、僕たち人間は「無意識」に他人と「比較」することができる様になってしまいます。

このスキルが非常に厄介で、無意識のうちに勝手に他人と比較して、勝手に自分に足りない部分を見つけてきて、勝手に落ち込ませようとしてくるんです。

無意識にスキル化してしまったものには「意識的」に向き合っていく他ありません。

無意識に比較してしまった時、脳はそのリアクションをとります、「あの人はかっこいいけど、自分はかっこよくない」という風に。

ここを意識的に強制しましょう。「あの人はカッコいい、でも自分は自分だ。これ以上ない。だから比べるな。自分に出来ること、あの人は出来ない、自分にはなれないんだから」みたいな感じで、なんでもいいので「比べたら即自分を肯定する」言葉をかけてあげましょう。

こういった「意識的な自己改革」は、そのうち「無意識化」におけるスキルになります。自己肯定をするスキル、ぜひパッシブスキルとして身につけてみてください。

寂しさは共感出来ても共有は出来ない

寂しさについて書いてきました。

僕としては、ひたすら自分と向き合って自分の短所を受け入れて、今の自分が最強で最高!と思えるようになるしかないんじゃないかな、と思っています。

無理にそのレベルに行く必要はないと思いますが、少しでもそのレベルに行ける様に、これからも頑張っていきたいと思います。

後半で実際にお伝えしたものは、実際「行動」に移すのは、もしかしたら無理だろって思う方もいるかもしれません。

そんな方は、ぜひ下記記事を参考に、寂しさをメモに書き出し、瞑想にて考えを整理してみることをお勧めします。

それでは、今回はここまでにします。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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shota

shota

客先常駐エンジニア(SES)から、フリーランスのWEBライターへ。
現在27歳、在宅でライターの仕事をしつつ、25歳の頃に辛かった経験などを元に「25歳の悩める人」へ向けて、情報を発信しています。

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