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自分に答えを持ってない人は、答えを持ってる人とその人の答えに依存する

4 min

こんにちは、shotaです。

「依存」という言葉が取り上げられることが増えてきた現代。

物に依存する、人に依存する、事柄に依存する、行動に依存する、依存には複数の種類があります。

「人に依存する」

というのは、現代でも多くの人が抱えている問題であり、抜け出すことが難しい事柄です。

今回は「依存」の中でも「人に依存する」にフォーカスして、27歳が思ったことをツラツラと描き認めていこうと思います。

お時間あれば、ぜひ最後までみていってください。

自分に答えを持ってない人は、答えを持ってる人とその人の答えに依存する

これは僕が常々思っていたことが、最近明確化してきたことです。

僕にとって「依存」とは、行きすぎると悪い物だけど、人間には必要なことなんだろうなと思うことでもあります。

答えを持っている人が存在する

僕がネットを見る限り、自分の中に自分の答えを持っている人はとても少ないですが、たまにいます。

「俺はこういう考えを持っていて、こういうだから行動している」

自分の言葉や行動に責任を持つ、じゃないですけど、自分の行動を明確に意思の力を持ってして動いている人がいるんです。

そういう人は、明確な自己主張を持っているので、一般的には「自我が強い」と言われたり、「傲慢な人」と言われたりしてるイメージがあります。

ですが、そういったイメージよりも「自分を持ってない人」や「自分に答えがない人」の拠り所になってるなと思うんです。

例えばホリエモンとか、一般的にいうインフルエンサーが「答えを持ってる人」かなって思います。

答えを持ってる人に依存する人

ホリエモンなどの「答えを持ってる人」や「インフルエンサー」に集まる「自分に答えがない人」は、世の中にたくさんいます。

実は、最近の僕もまさしく「自分に答えがない人」で、「自分の芯」がぼやぼやとしています。

例えば「この前は◯がいいと言っていたけど、次聞いたら◎がいいと言っていた」みたいな人です。

こういった人は自分を持ってないので、人が強く主張することや、周りの人がいいな、と思うことに対して「あ、それ自分もいいと思う」という感覚になってしまいます。

身近に「答えを持ってる人」がいる時、無意識にその人がする行動を期待して、いつの間にか待っていたり、気づけばその人の答えなしでは動けなくなっているんです。

個人的には、最近「YouTubeでひろゆきの切り抜き」が流行っているのは、まさにこの「答えを持ってない人」が「答えを持ってる人」に依存しつつあるのかなって思っています。

〇〇の切り抜きが流行る理由

上記の通り、最近YouTubeでひろゆきの切り抜きが流行ってるのは、答えを持ってない人が集まってるからだと思っています。

事実、僕もひろゆきの切り取りは良く見ますから、そうだと思います。

あと、自分の答えを持ってない人は、ビジネス系YouTubeも良く見ると思います。もちろん僕も見ていました。

自分が明確な答えを持っていない人は、どこか他人軸で生きようとするクセがあり、失敗したくない、損したくない、自分は上手くやりたい、と思ってる場合が多いです。

もしかしたら、根底には「完璧主義」が隠れていて、完璧にやろうとする、うまくやろうとする、失敗しないようにしたい、という気持ちがあるのかもしれません。

人に依存するのが悪いことなのか

そこで問題として上がってくるのが「人に依存するのは悪いことなの?」ということ。

正直なところ、悪くないです。当人がそれが生きやすいならそうすればいいんです。ただ、そういう生き方を選び続ける限り、一生悩み続けるんだろうなとも思うんです。

自分に答えがない人は一生悩み続ける

自分を持ってない人は、確実に人生で悩み続けます。

なぜそこまで言い切れるのか、それは

『どこかで他人と比較するクセを持っているから』

他人と比較するクセを持ってる人は、一生悩み続けます。

「俺はこれでいいんだろうか」とか「この年齢でこんなことしてて...」とか、「あれやっておけば良かったかな...」とか。

「自分を持ってない=他人と比べる余地を残している」ということになると、僕は思っています。

だから、最低最悪、自分の軸はどこかに持っておかなければならない。今たまたま生きれてるとしても、必ずその必要が出てくる、そう思うんです。

「人に依存する」の程度は理解しておく

記事内でも少し触れましたが、人に依存することは必要なことだと思っています。

結婚システムって、つまり国が人と人同士が繋がることは必要なんだよって認めてるってことだし、周りの人もそう思ってるから結婚するんです。

ほぼ毎日同じ人といると、その人の考えや行動に期待したり、当たり前になったりしますよね。

それは、環境に適応していくことで、必要なことだと思います。

僕も彼女がいないと寂しいし、いると楽しいし、一緒にいたいです。

なので「どこまで依存していいのか」は明確に、自分の答えとして持っておかないと、気づけば全て他人軸になってしまうこともあるでしょう。

人に依存するなら生きる力だけは線引きする

これは僕が最近思ったことで、「依存するなら、一人で生きれる力で線引きしろ」ということです。

詳しく話すと、『自分が生きるために必要なお金だったり、行動は自分の力で生み出して、一人で生きれる最低限だけは確保しておく』です。

人と一緒にいたりすると、どうしても生活面での依存や、行動を依存しがちになります。

今までの僕がまさしくそうで、というか現状も親に依存してしまってるところがあって。そこから抜け出したいと思ってます。

一緒にいて、ゴミ出しはやってもらったり、お風呂掃除は任せてしまったり、料理を作ってもらったり、そういう部分は良いです。お互いがいいと思ってるなら。

でも、生きる力だけは、自分で確保しておかないと、依存先の人がいなくなってしまった時、抜け殻のようになってしまうかもしれません。

抜け殻になるのはYouTubeの切り抜きを見てる人も同じかもしれませんが、自分がどれくらい依存してるかは、考えてみて把握するのが必要でしょう。

人に依存しても全ての答えを求めない

というわけで、今回は「人に依存する」をテーマに書き連ねてきました。

答えを持つ、というのは並大抵のことではありません。

自分が、どうしてもここから抜け出したいと行動した結果、身につく物だと思います。

身に付く難易度が高すぎるため、それを薄々勘づいているため、人は答えを持っている人に依存してしまうのでしょう。

一人で生きるためにはそれだけでは不十分です。

僕もまだ見ていない景色なので、ここまで考えてきたことが正解かは分かりませんが、この先も自分の答えを見つけられるように生きていこうと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

それでは、今回はここまで。

shota

shota

客先常駐エンジニア(SES)から、フリーランスのWEBライターへ。
現在27歳、在宅でライターの仕事をしつつ、25歳の頃に辛かった経験などを元に「25歳の悩める人」へ向けて、情報を発信しています。

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