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絶対悪を作らないと体裁を整えられない問題「依存は悪か?」

4 min

こんにちは、shotaです。

依存は悪だ、っていう風潮ってありますよね。僕はその風潮があんまり好きじゃないです。

絶対悪という否応無しに悪い存在があると人間はとても動きやすくなりますが、じゃあ悪とされた方は本当に悪なのか。

そんな議論をすることもなく、ただ悪だと決めるつける脳死プレイは、価値観が今までの比じゃないほどに早く変わっている現代では、老害と言われる決定的な思考だと思います。判断すらもしていないから思考ですらないです。

行き過ぎた依存、周りに迷惑がかかる依存もあるけど、依存ってそれだけじゃないよね?と僕は思ってしまいます。

ということで今回は、『依存は絶対悪なのか?』というテーマでお話しして行きますので、よければ最後までお付き合いください。

体裁は整うが、依存は絶対悪なのか?

スマホ依存、タバコ依存、ゲーム依存、恋人依存。依存ってさまざまな言葉にくっついてくる、くっつき虫みたいな存在ですよね。

でも、最近は依存依存って言われ過ぎて、どんなことが依存なのかってよくわからない人も多いと思います。

そこで、記事としての体裁を整えるために、一度依存を定義しておきます。

依存の形成された患者は、合法非合法問わず、その物質・行為を得ることのみに執着し、他の社会的責務を容易に放棄したり勉学意欲・勤労意欲などを喪失する。結果として、物質を得るための資金を入手するために犯罪行為を行ったり、借金したりすることをいとわなくなる

 出典:依存症 - Wikipedia

依存対象を得るために見境がなくなる、という感じですかね。これがいわゆる『依存症』。しかし、最近は「依存」という言葉が簡単に語られるようになりました。

何かに夢中になれば依存してる、依存はやばい、今すぐやめろ、手遅れになる。などなど。

こういった言葉が増えれば増えるほど、その、程度の低い依存を絶対悪とする考えで生きていくと辛くない?と思うわけです。

『依存症』まで行ってしまえば確かにマイナスに働くこともありますが、何かに心を支えられている、という状態は、誰にでもあることなんですよね。

つまり、程度の問題ということです。最近の人たちは言葉に敏感すぎる。

依存する事で生活が成り立つ人もいる

最近で言えば、ビジネス系YouTuberとかが「毎朝ルーティーン」とかって色々やってますけど、あれって純粋に『依存症』ですよね。誰も突っ込まないけど。

なんなら僕も毎日ルーティンをキメて行動しています。多分、やらなくなるとソワソワしまくると思います。これってもう立派な依存です。

でも、それって何かやばいか?って言われると、別に何にもやばくないと思います。日常生活の一部を依存対象として毎日行ってるだけで、やる時間も決めて、節度を持って、毎朝取り組んでいるだけ。

他にも、結婚している人が相手がいないと何も出来ない、って場合も割と依存関係にあると思います。けど、それで二人とも問題なく暮らしていけるならそれで良いんですよ。

他の人から見て、「それって依存しきっていて危ないんじゃない?」と言われたとしても、その問題は当事者の問題でしかなくて、第三者に迷惑がかかっていないから、何も問題ないんです。

まして、その状態を二人が良しとしているんだから。

問題なのは他人に迷惑がかかっているか

結局、一番問題になるのは「他人に迷惑がかかっているか」という部分です。

依存症の定義としてもそうですが、例えばゲーム依存になって、親がだめだって言ってるのに課金しまくって多額の借金を負ってしまったとか。こんなんは自分で制御できないほどになってるのでアウトです。

アウトですが、まぁ正直、それも自分で選んでいることなんですよね。人から見たらアウト。でも当事者本人はしたくてしているんだから、その時点で絶対悪ではない。本人には悪ではないから。

そんなこと言ったら人殺しをしまくって良いのか、という話にも繋がってしまいますが、そういう考え方もできるよねって話です。

依存が絶対悪、という考えと、それを押し付ける雰囲気はよろしくない。ある意味洗脳です。学校教育と一緒。

物事をYES NOで語りすぎる方が問題

正解か不正解か、というどちらかにしか答えがない、という考え方が、僕は非常によくないなと思います。それは考えの押し付けにしかならないからです。

例えば、オレンジジュースしか飲んだことんがない人が、「飲み物と言えばオレンジジュースだろ、だからオレンジジュースしか認めない」と言ってきたとして、ジュースやお茶、お酒などいろんな種類の飲み物を飲んだことのある人は他に色々な答えを持っているので、その言葉に返答できません。

じゃあこれってどっちが悪い?って言われた時に、僕はどっちも悪くないと思います。ただ、考えを押し付けるのが良くない。

人によって様々な答えを持っているから、だから、依存は悪だ!とする人たちの考えの押し付けがすごく居心地が悪く感じます。

正しいか正しくないか、で語った方が分かりやすくて受け入れやすいからこそ、これだけ浸透してしまうんですよね。でも、ちょっと考えれば分かること。そこに至るまでに何があったのか。

言葉で定義しても、気持ちは定まらない

依存だ、依存してる、依存は良くない、なんて言葉だけで縛ったところで、依存の何がどうだめなのか理解している人は少ないです。

だから、どこまで深くなれば依存なのか、ちょっとハマっただけで依存なのか、依存したら全てが悪くてどうにかなってしまうのか。依存を語る人は、その多くを知りません。

定義した通り、依存というのは『対象を得るために見境がなくなる』という状態の事で、それも人に迷惑をかけているかどうかが問題なのです。

ゲームが楽しくて仕方がない。有給使って遊び倒したい。恋人と一生過ごしたい。ケーキを食べ続けていたい。

これって誰かに迷惑かけてます?僕はかけてないと思います。全てルール上の行為。何も問題ない。

依存が悪いと言われていても、どこまでが悪い依存かなのか、というのをしておくのが必要だと思います。

どこまでが異常なのか、どうなったら依存症なのか、その依存行為は悪いことなのか、これについては誰もが考えるべき問題です。

依存は根絶するべき絶対悪ではなく、ただの状態

今回は依存は絶対悪なのか?というテーマでお話ししてきました。

僕自身、ここまで書き切ったところで依存に対しての認識が甘かったように感じでいます。

摂取していないと不安になる、連絡していないと不安になる、色々な形がありますが、その気持ちがエスカレートし、相手に迷惑をかけてしまった時に、その依存は悪になってしまうかもしれません。

ですが、そういう心も、あくまでただの状態に過ぎません。人はどうとでもなれるから、いくらこの瞬間に依存症的な状態にあっても時間が解決する。10年間も全く同じ状態でいるのは不可能なわけですから。

というところで今回は終わりにしようと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

shota

shota

客先常駐エンジニア(SES)から、フリーランスのWEBライターへ。
現在27歳、在宅でライターの仕事をしつつ、25歳の頃に辛かった経験などを元に「25歳の悩める人」へ向けて、情報を発信しています。

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