期間限定でWordPress開設が37%OFF

ネガティブを上書きする「感謝」という感情

3 min

こんにちは、shotaです。

12月に入ってから気分が落ち込みっぱなしの僕ですが、そのおかげか、ネガティブに対して色々と知識が溜まってきています。

今回は、そんなネガティブを上書きするほどのポジティブエネルギーを秘めた「感謝」という感情についてお話ししていこうと思います。

面白い読み物になるかは分かりませんが、ぜひ最後まで読み進めていただければ嬉しいです。

ネガティブを上書きする「感謝」という感情

先日、下記のnoteを書きました。

結構胡散臭い内容だし、まとまっていない雑多な文なのですが、「物や人に感謝した方が良いよ」という内容になっています。

その理由は、「周囲のものを当たり前として認識しすぎるから、ネガティブになる」という原因があるためです。

例えば「食事ができて当たり前」とか「動画が見れて当たり前」とか、自分にもたらされる娯楽などが、全て「当たり前にある物」とされているから、それがなくなった時に酷く悲しい気持ちになります。

そんな悲しくなったネガティブな気持ちを上書きしてくれるのが「感謝」という感情です。

何も持っていなかった自分

「感謝」を語る前に、自分という存在について定義します。

自分という存在は、母の中から「何も持っていない裸の状態」で生まれます。

そこから成長していくにつれ「服」や「好きなこと」や「友達」「仕事」「家」など、さまざまな物を手に入れていきます。

持たざる物だった自分は色々なものを手に入れて、今の自分へと形成されてきたわけです。

そんな自分は、持っていなかったものを周囲にどんどん取り込み、気づけば「あることが当たり前」という状態になってしまいます。気付かず、当たり前を集めてしまう。

その「当たり前」がなくなった時に酷く絶望する。手に入ることも、自分の周りにあることも、全てが当たり前、それが自分の常識、そんな凝り固まった歪な感情が、自分を支配しています。

何も持っていなかった自分は、「持っているもの」の扱いがわからないのです。

「感謝」で上書きするネガティブな感情

失ったものはもとには戻らない。

しかし、それまで自分の周りにあったことは、紛れもない事実です。

その事実に対して「今まで自分の元にいてくれてありがとう」と感謝を込めるだけで、不思議と嫌な気がしなくなります。

世の中、どこかで「自分の思い通りになる」「自分が動けばどうにでもなる」と思っている人は、この「感謝」という感情を蔑ろにしてしまいがちです。僕もそうです。

スマホ一つとっても、いつも文句も言わずに使わせてくれてありがとう、と思うだけで、すごく心が晴れやかになります。感謝とは自己満足なものではありますが、それと同時に、自分の心を満たす感情でもあるのです。

自分の心が満たされると、ネガティブな感情は、勝手に引っ込んでくれるのです。

それまで上手くいってくれたことに意識を向ける

「思い通りにいかずに怒る」ではなく「それまで上手くいってくれたことに意識を向ける」と、人は穏やかな気持ちになれます。

例えば、自分が使ってるパソコンのモニターがあるとします。そのモニターが急につかなくなって仕事ができなくなってしまいました。この時、怒りの様な負の感情や、どうしようもうダメだとネガティブに押しつぶされてしまうと、感情に振り回されて何もできなくなってしまいます。

しかし、そのモニターに対して「今まで動いてくれてありがとう、すごく助かったよ」という気持ちを持つだけで、自分が胸いっぱいになる。感謝にはそういった使い方が出来ます。

ちょっと見方を変えただけで、ネガティブは急速に薄れ、心に暖かさが満ち溢れてきます。

ちょっと宗教的で嫌悪する人もいるかもしれませんが、自分の心の中ですれば良いだけです。愛犬が死んだら、それまで生きてくれたことを感謝するでしょう。それと全く同じものを、自分の周りを形成するすべての物に向けてあげれば良いのです。

無尽蔵に感謝を送り続ければ、勝手に自分の心が満たされて、ネガティブと離れることが出来ますよ。

「感謝」は寂しさも埋めてしまう

僕は日々、色々な部分に物足りなさを感じ、いつも満足することなく日常を送ってしまっています。

この日常はとても辛く、ひたすら足りない何かを探す。飢えを埋めるために色々なものを貪る。

でも、こんな日常辛くてしんどいです。そしてこの辛さは「寂しさ」から来るものだと僕は結論づけました。

埋められない「寂しさ」と向き合った時、逆に今あるものに対して「向き合っていなかったのでは?」と思いました。そして、実際に周囲のものに意識を向け、それがいつも自分の周りにあり、自分を構成しているのだと考えた時に、自然と涙が出てしまいました。

ずっとずっと寂しいと思っていたけど、あぁなんだ、自分は満たされているじゃないか。と。

ひたすら求めて、求め続けてしまうと、自分の持っていることにすら気付けなくなってしまう。これは恐ろしいことだなと思います。

現代人にとっても「飢え」を満たすのは、「現状の理解」と「感謝」なのではないか、と最近は思っています。

本日はこの辺にしようと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

shota

shota

客先常駐エンジニア(SES)から、フリーランスのWEBライターへ。
現在27歳、在宅でライターの仕事をしつつ、25歳の頃に辛かった経験などを元に「25歳の悩める人」へ向けて、情報を発信しています。

FOLLOW

カテゴリー:
タグ:
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です