こんにちは、shotaです。
最近、自分の感情がいろんなところに向かい過ぎていて困っています。
そんな中、今日はお風呂に入りながら思い巡らせたことがあったので、ここに書き残しておこうと思います。
ま、黒歴史にならない程度の駄文になるといいな。
寂しいって感情と、時間。

寂しいって感情。
アニメキャラが活動している世界観に見入ってしまうと、自分もその日常に入っているかのような感覚になる。見終わってしまった後の寂しいって感情。自分は、過去の生活が楽しかったんだと思う。
小中と、あんまり良い思い出はなかった気がするけど、結局、トータルして、自分は「良い思い出だったな」と一括りにすることが出来るらしい。そのくらいバカなんだなと。
そういった戻らない日常、与えられ続ける日常を、アニメを通して感じ取ったとき『あぁ、俺もあんな日あったなぁ』と思い出してしまうし、あんな日常がまた欲しいな、と思ってしまう。
過ぎた時間を思い返して溢れる感情に浸る行為ほど、未来において無駄な時間はない、のかもしれない。
大学時代の先輩の話

僕の大学時代の先輩で、高校卒業より2年の時間を空けて大学に入学し、在学中に計2年の休学を使って、合計6年間の大学生活を送っていた人がいた。
その先輩が、どういう意図で大学に入り、どう言う感情を持って6年間を過ごしたのかはわからない。
でも、今僕が思うのは『すげぇ羨ましい』という気持ち。
先ほども話した通り、過ぎた時間は戻ってこない。そして、学生という時間はとても貴重。あのワイワイした時間、空間、アレはもう味わう事はできないんだ。
もし、そんな時間を少しでも楽しめるかもしれない状況があるというのなら、多分大学生活になるんだろう。
高校には戻れない。あの時間はもう戻らない。もどれない。でも大学生にならなれる。
と思うと、今からまた大学生になるのも悪くないな、と思ってしまった。27歳でひたすら自宅に引きこもり続ける自分。この日常に、あのアニメキャラたちが過ごす時間を見比べてしまうと、どうも精神的なダメージを負ってしまう。
自分にはもう味わえない、得られる事の出来ない体験が、ストーリーとして自分に襲いかかってくる。
でも面白いから見てしまう。そしてその日常を味わい、被せるかのように作業をしている最中に流してしまう。取り返せない時間を取り戻すかのように、今の自分の時間に無理やり取り込もうとしていた。
過ぎた時間を取り戻す必要性

取り戻せない日常に対して、想いを馳せても仕方ない。
ただ、もしその日常を作り出せるとしたら?自分だけのストーリーを作ってしまい、その日常の中に自分を閉じ込める事が出来たなら?取り戻すという考えではなく、新たに作り出す、そういう考えもアリなんじゃないか?と、思う。
僕らが見ているアニメは、大人が作ったものだ。大人がストーリーを考え、大人が絵を描き、大人が動画にして、大人が伝える。
取り戻せない日常は、大人なら作り出せるんだ。僕らはひたすら進むことしかできない。時間という軸の中、ひたすら前に進むことしか出来ない。自分はあの頃の体験を懐かしみ、あの頃に戻れたらと考えてしまっている。
しかし戻ることは不可能。ならば、その時間を楽しむように進みつつ、作って行くしか無いんだ。
もちろん、あの頃のように純粋な楽しみ方はできない。当たり前だ、戻る事はできないのだから。でも作れば、楽しめてしまう。日常を作る。日常を作れば良いんだと。
大学生?ゲーム?小説?ストーリー?

そんなことを考えたときに、まぁだったらアニメのようなものを作ってしまえば良いんだと思いはしたが、そう簡単には作れないし、なにより「あの頃を体感したいから」という理由でモチベーションが続くとは思わない。しかもそういう自分を俯瞰してみると妙に冷める。
では、ここから違うストーリーを作るためにはどうする?と思ったとき、結局時間は果てしなく過ぎて行くことを思い出す。
この次は何を体験できる?
自分がまだ体験していない物語はどこ?
学生という戻れない、味わえない時間に対して、僕がまだ味わえていない、学生目線で見た時に憧れていた場所はどこだろう。そう考えた時に、思いついた。
学生を見守る側。
これは味わえない。過去の自分にはどう足掻いても味わえない。でも、今の自分になら出来る。体験できる。
教師か?とも思ったが、自分は教師免許を持っていないし、生徒や職員、保護者にあれだけ晒され続けるのは、今となっては多分身が持たない。脳が保たない。
まぁ確かに、大学に入り直し、教員資格を取って教師になる。そういう選択肢もなくは無いけど、やはりそこにモチベーションを見出せる気がしない。これは性欲のようないっときの感情。だって普段の僕は考えもしないから。
ではなんだ。
家庭を持つ事。
自分の家庭を持ち、その子の成長を見守る。過去の自分には出来ない、今の自分にしか出来ない事。
彼女はいたが、奥さんはいない。
友達はいたが、子供はいない。
先生はいたが、孫を見る親では在れない。
まだ、やってない事があるんだった。ここから先の人生で、学生生活以上のものを、まだやれていない。
ここに価値を感じる。
ここが価値だと感じた。
これから先、、、

今までは、少し頑張れば楽しい日常を味わうことができた。
高校受験もそう。大学受験もそう。就活もそう。
ちょっと勉強すれば、ちょっと練習すれば、ちょっと人当たりをよくすれば。簡単に手に入った。
ただ、今は違う。
自分でその道を絶った。
大学を辞めた後のルートだったら、会社に入り、どこかで出会いがあり、彼女が出来て奥さんになり子供ができて家を建てる、なんていう生活を手に入れていたかもしれない。
でも今、この先を選択するのは1人だ。彼女はいるが、現状は一人。1人で仕事を取り、1人で考え、1人で決断している。もう自分で作るしか無いんだこの先の道は。少し頑張れば手に入る今までとは違う。
年齢に身を委ねて楽しむ時間は終わった。この苦しい時間、自分は何に向けて頑張るんだろう。
でも昨日の自分よりは少し前進できた。
またもう少し頑張ろうかな。
時間の埋め合わせについて考える

そんなわけで、少し頭の整理というか、考えを書き殴ってみました。
読んでくださった方にとって面白い読み物になったかは謎ですが、ここまで読んでくださりありがとうございます。
最近まじで、なんか本当にいろんな感情に晒されてて、すごいなんかもうしんどいというか不安というか、なんというかっていう感じ。
現状に不満を感じる今。でも振り返ってみると、いつだって同じように不安を抱えていたように思う。
結局、ネガティブはつきものなんだなって思った。もう、そういう特性。そういう人種。そういうクセ。だからそれと向き合って、どうにか引きずり過ぎないように工夫して生きていきたい。
まぁ今回のは、作業の合間が暇だなぁって思って、見ずに溜めていたアニメを見ていたら思いのほかハマってしまって、そんなハマってしまった自分の感情と向き合ってみた、という内容ですかね。
思い返してみると、今までは『なんで?』という疑問を「大人の圧力」で考えること自体を強制シャットアウトさせられてしまっていたから、その反動がきまくってるという感じ。考えが止まらない。なんで?が永遠と付き纏ってくる。ま、それでいいんだけど。
おや、あとがきが長くなってしまった。というわけで、本日はこの辺で。
あらためて、ありがとうございました。また別の記事で。
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